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お茶の歴史


お茶の歴史
お茶は日本にもともと茶樹が自生していたという説、また中国から伝えられたものという渡米説の二つの説があります。お茶を飲むという文化は中国から伝えられたものといわれています。
栄西禅師
栄西禅師
平安朝の初期(1200年前)、伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)ら唐へ留学した僧たちがお茶を持ち帰ったのが始まりとされています。
その後鎌倉時代に入り臨済宗の開祖でもある栄西禅師が宋より茶種を持ち帰り、九州背振山(佐賀)や平戸(長崎)などにお茶を栽培したといわれています。
また栄西は本格的なお茶の効用から蒸し製法などについて「喫茶養生記」を著した。
この書は日本における最初の茶書として著名であり、その後の喫茶の普及に果たした役割は大きいとされています。
喫茶養生記
喫茶養生記

お茶は薬?
中国の「神農本草」という本に薬用としてお茶の記録があり、長い間解毒作用のある薬として飲まれていました。日本でも天暦5年(951)、京の町疾病が流行り当時、実践的な宗教活動をしていた六波羅蜜寺の空也上人が人々に、薬用として梅干しを添えたお茶を施しました。そうすると、悪疫もしだいに小康状態に向かったといわれています。この功徳にあやかって、村上天皇は毎年正月元旦にお茶を服されるようになりました。天皇が飲まれることから「王服茶」また「皇服茶」とも呼ばれるようになり、一般庶民もこれにならったといわれています。
嬉野の大茶樹
嬉野の大茶樹
国の天然記念物にも指定されている大茶樹。推定樹齢350年、枝張り約80平方m、樹高約4.6mという巨樹で、慶安年間(1648〜1652)に、嬉野茶の祖・吉村新兵衛が植えた一本といわれています。
長崎のお茶
長崎県のお茶の起源
長崎県は九州の西にあり、日本本土の最西端の地でもあります。お茶の歴史も古く、平安時代末期の遣唐使の時代までさかのぼります。栄西禅師が長崎県の平戸に禅とお茶を持ち帰ったことに始まり、後に全国へとお茶が広まる起点となりました。
また、幕末の長崎では、お茶の貿易が大浦お慶により行われ、後に日本を代表する貿易品とまでなりました。
大浦お慶
大浦お慶
嘉永6年(1853)、長崎の出島在留のオランダ人テキストルに嬉野茶の見本を託した。お慶の託したお茶は英・米・アラビアの3国へ送られたという。3年後の安政3年8月、英国商人オルトがお慶のお茶の見本を携えて来航する。オルトはお慶に日本茶の巨額な注文をした。
当時、欧米では緑茶を飲む風習が盛んであったという。お慶は九州一円のお茶の産地を駆け回って、1万斤のお茶を集めた。
長崎県の茶産地
長崎県は、茶園面積747ha、生産量1,070t(平成11年)の生産県です。良質なお茶が生産されると言われる霧の発生しやすい山あい地域で生産されております。
長崎県で生産されるお茶は、特徴のあるお茶で、蒸し製玉緑茶 (むしせいたまりょくちゃ)と言われ、煎茶とは違い、「丸い独特の形」と 「深みのあるふくよかな香りと味わい」が特徴です。
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